あの戦争を誰か1人の視点で語ることはできない。
ある事実について見方は人それぞれだとしても、そのどれもがその人にとっての「真実」だ。
だから私は
ウォーナーさんを訪ねる前、彼に会って自分の心がそうしたいと思ったら謝ろうと思っていた。
祖父に代わって謝ることはできないが、彼の体験に対して自分が
「すまない」と思ったらそう伝えようと。
だが、目の前にいる家族を含めてウォーナーさんは私にそんなことははなから求めていないし、私を拒絶ではなく受け入れ、言葉にせずとも過去ではなく未来を向こうと背中を押してくれている。
それが分かったとき、「ごめんなさい」という一言がそこではもっとも場違いな言葉に思えてきた。
http://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2014/01/post-274.php
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