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2014年8月7日木曜日

この大ウソの悪影響ははかり知れんな

“従軍慰安婦”朝日新聞が記事の誤り認める
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20140806-00000063-nnn-pol


 いわゆる従軍慰安婦の問題について、朝日新聞が5日と6日に特集を組み、過去の一部の記事に誤りがあったことを認めた。これに対し、日本国内や韓国で波紋が広がっている。

 朝日新聞はこの中で、過去の慰安婦問題に関する記事の検証結果を報じた。第2次大戦中に当時、日本の植民地だった朝鮮で数百人の若い女性を強制連行した、などとした男性の証言を元にした1980年代から90年代の記事について「証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」としている。

 この男性の証言をめぐっては、その後の専門家の調査で誤りだと指摘され、安倍首相をはじめ自民党の国会議員などから記事は虚偽であるとの根強い批判が続いていた。

 また、慰安婦問題が国際問題化した1990年代初め、戦時中に女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身(ていしん)隊」を指す「挺身隊」という言葉と「慰安婦」を混同した記事を掲載したことについて、「当時は研究が進んでおらず、参考にした資料に混同が見られたことから誤用した」としている。


2014年7月7日月曜日

日本にとってのリトマス試験紙


中国・韓国が日本の「集団的自衛権行使容認」を批判するのは、

これが日本にとって良いことだからじゃね?!


2014年5月6日火曜日

憲法改正は、9条のためだけにあるんじゃなかろう

先進国におけるこれまでの憲法改正の回数。(2013年時点)

ドイツ:59回

フランス:27回

カナダ:19回

イタリア:16回

アメリカ:6回

日本:0回




2014年1月22日水曜日

おじいちゃんは「戦争犯罪人」だった

あの戦争を誰か1人の視点で語ることはできない。

ある事実について見方は人それぞれだとしても、そのどれもがその人にとっての「真実」だ。

だから私は ウォーナーさんを訪ねる前、彼に会って自分の心がそうしたいと思ったら謝ろうと思っていた。

祖父に代わって謝ることはできないが、彼の体験に対して自分が 「すまない」と思ったらそう伝えようと。

だが、目の前にいる家族を含めてウォーナーさんは私にそんなことははなから求めていないし、私を拒絶ではなく受け入れ、言葉にせずとも過去ではなく未来を向こうと背中を押してくれている。

それが分かったとき、「ごめんなさい」という一言がそこではもっとも場違いな言葉に思えてきた。

http://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2014/01/post-274.php

2014年1月13日月曜日

歴史を学ぶことは、この世界の中で自分が何者であるかを知ることである

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_/_/    地球史探訪: 国際派日本人に問われるIdentity
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/     1.国際エリートに求められる歴史の見識
_/_/     2.日露戦争はどちらが勝った?
_/_/     3.日露戦争の世界史的意義
_/_/     4.自らの来歴を知れば志が育つ
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■1.国際エリートに求められる歴史の見識■

     アメリカは、国防総省、国務省(日本の外務省にあたる)と
    いう最も枢要な役所で、人を採用するときに十日間以上、ディ
    ベートをやります。ほかの教科をすべて百点取っても、歴史の
    点が悪いと、国防総省、国務省の役人として入れません。
    [1,p41]

 国防も外交も、国際社会の中での仕事である。そこで何よりも自
国の歴史に関する見識が問われる、というのは、なぜなのだろうか。
ここには国際派日本人として、学ぶべき大事なポイントがあるので
はないか。

 たとえば、英米国民だったら、次のような歴史を学ぶのだろう。
英国の首相、ノーベル文学賞受賞作家、ウィンストン・チャーチル
の大著「英語国民の歴史」の冒頭の序文である。

     アフリカ、アジア、そして新大陸の争奪戦が始まった1500年
    頃、ヨーロッパの北辺の霧深い小島の住民が、競争相手をうち
    負かして、すべての大陸とすべての海に、勢力を広げ、諸制度
    をうち立て、その国民性をふきこんだ、とは誰が予想し得たで
    あろう。

     英語は、アメリカ合衆国とカナダの大平原で、オーストリア
    の奥地で、そしてトロントやボンベイやヨハネスブルグで使わ
    れ、すべての文明国の共通語になりつつある。英国の法体系は、
    サンフランシスコ、メルボルン、トリニダッド、マルタの判事
    達に使われている。そしてその議会制度は百カ国もの国々で用
    いられている。

     なんたる壮観であろう。これに比べればアレキサンダー大王
    やモハメッド、ナポレオンの偉業すら小さく見える。[2,xiii]
 
 歴史を学ぶことは、この世界の中で自分が何者であるか、すなわ
ち自らのIdentityを知ることである。こういう自らの来歴を知った
英米の青年は、外交官、ビジネスマン、軍人として、先祖への誇り
と子孫への使命感を持って、国際社会の中での仕事に取り組むであ
ろう。

■2.日露戦争はどちらが勝った?■

 さて、前章の誇り高き英米の歴史教育に比して、我が国ではどう
であるか、実態を見てみよう。ある中学歴史教科書の日露戦争に関
する記述に関して、次のような逸話が紹介されている。

     1903年(明治37年)、ついに日露戦争が始まった。日本軍は苦
    戦を重ねながらも戦局を有利に進めた。しかし、日本の戦力は
    限界に達し、ロシアでは革命運動がおこるなど、両国とも戦争
    を続けることはむずかしくなった。1905年、日本を支持してき
    たアメリカの斡旋で講和会議が開かれ、ポーツマス条約が結ば
    れた。(東京書籍)

     この部分を、ある編集者がその細君に読ませたところ、「え
    っ、日本は日露戦争に勝ったんじゃなかったの!?」と叫んだそ
    うです。[3,p144]

 確かにこの教科書の記述に嘘はない。日本の国力が限界に来てい
たことも、アメリカの斡旋で講和にこぎつけたのも事実である。こ
の執筆者が、なんとか「日本が勝った」という一文を入れずに日露
戦争を記述しようとする非常なる努力と工夫には敬服する。執筆者
はよほど愛国的なロシア人に違いない。

 このように、自説に都合の良い事実だけを並べると、どのような
歴史記述も可能なのである。この手法を使うと、たとえば、忠臣蔵
などは次のように記述できる。

     浅野匠守は江戸城中で私怨から突如吉良上野介に斬りかかり、
    その罪により、切腹、お家断絶となった。この事件で浪人とな
    った47名の元藩士は、吉良を逆恨みし、その家屋敷を急襲し
    て、家人あらかたを惨殺した後、無抵抗の老人上野介の首を切
    り落として、槍の上に掲げ、江戸市中を凱旋した。

 これもすべて事実のみの記述である。これを読んだ子供達は、日
本人は昔から残虐な物語が好きなのだろう、と信じ込むであろう。
これでは、なぜ忠臣蔵が繰り返し芝居になり、映画になって、日本
人に愛され続けてきたかが、まったく分からない。そこにこそ日本
人のアイデンティティが現れているはずなのに。

 歴史における真実と、事実とは同じではない。国際派日本人は自
らのアイデンティティに関して、真実を学ばねばならない。

■3.日露戦争の世界史的意義■

 日露戦争の真実は、ロシアの南下をくい止めて、当時の帝国主義
時代に、日本が国家の安全と独立を保った、という点にあるが、そ
ればかりではない。当時の国際社会で、この日露戦争がどのように
受け止められたか、を以下に見てみよう。

・中国の国父孫文
     どうしてもアジアは、ヨーロッパに抵抗できず、ヨーロッパ
    の圧迫からぬけだすことができず、永久にヨーロッパの奴隷に
    ならなければならないと考えたのです。(中略)ところが、日
    本人がロシア人に勝ったのです。ヨーロッパに対してアジア民
    族が勝利したのは最近数百年の間にこれがはじめてでした。こ
    の戦争の影響がすぐ全アジアにつたわりますとアジアの全民族
    は、大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いたので
    あります。[4]
 
・インド・初代首相ジャワハルラル・ネルー
     日本の戦捷(せんしょう)は私の熱狂を沸き立たせ、新しい
    ニュースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。(中略)五月の
    末に近い頃、私たちはロンドンに着いた。途中、ドーヴァーか
    らの汽車の中で対馬沖で日本の大勝利の記事を読み耽りながら、
    私はとても上機嫌であった。[5]

・フィンランド大統領パーシキピ
     私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最初の
    ニュースが到着した時、友人が私の部屋に飛ぴ込んできた。彼
    はすばらしいニュースを持ってきたのだ。彼は身ぶり手ぶりを
    もってロシア艦隊がどのように攻撃されたかを熱狂的に話して
    聞かせた。フィンランド国民は満足し、また胸をときめかして、
    戦のなりゆきを追い、そして多くのことを期待した。[6]

・トルコ
     昭和四十四年に、山口康助氏(現・帝京大学教授)がトルコの
    古都ブルサに泊った時、ある古老が片言の日本語を混えて、
    「ジャポン! ニチロ、アラガート(日本の人たちよ! 日露戦
    争に勝ってくれて有難う)」と、呼びかけてきました。続いて
    古老は、日本が日露戦争に勝った時、トルコ人は狂喜して、息
    子や孫に「トーゴー」「ノギ」の名前をつけ、イスタンブール
    の街には、「東郷通り」「乃木通り」ができた事など、語った
    そうであります。[7]

・ポーランド
     大戦後、私(加瀬俊一氏)がヨーロッパの大使をしていた時
    に、東ヨーロッパの状態を見たいと思い、ポーランドを自動車
    で視察したことがあります。(中略)

     それで、道を尋ねるためにある教会に立ち寄ったんです。年
    輩の上品な神父が出て来てね、日本人だと言うと、「ああ、い
    らっしゃい。日本の車があちこち走っているって聞いてまし
    た」、そういって喜んでお茶を出してくれたんです。そうした
    ら傍らに、小さい男の子が来てね。それで私は、「君の名前は
    なんていうの」って聞くと、「ノギ」って言うの。「えっ。ノ
    ギ?」。すると神父さんが言うんです。「ノギ」というのは乃
    木大将のノギですよ。ノギとかトーゴーとかこの辺はたくさん
    いましてね。ノギ集まれ、トーゴー集まれっていったらこの教
    会からはみだしますよ。」「トーゴー」はもちろん東郷平八郎
    に因んでのことです。

     ポーランドはロシアの悪政に反抗して、独立闘争に多くの血
    を流した歴史をもっているんです。そのロシアを打ち倒した英
    雄に因んで名前をつけるわけです。なるほどと思いました。
     [8]

・アメリカの黒人
     日露戦争当時、黒人新聞各紙は、西洋帝国主義の重圧に苦し
    む日本人を「アジアの黒人」と呼び、白人に挑む東郷艦隊を声
    援したり、一部の黒人社会では驚くことに、日本ブームが起き
    て、日本の茶器や着物も流行。さらには、黒人野球チームの中
    から、「ジャップ」(当時、この言葉は日系人に対する侮蔑語
    ではなかった)を自称するチームも出ていたという。[9]

 日露戦争は非白人が本格的な近代戦で白人をうち負かし、世界中
の抑圧されていた人々の希望に火を灯した。20世紀は、世界の諸
民族が自由と独立を勝ち取った世紀として、世界史に記述される。
日露戦争での日本の勝利は、まさにその夜明けを告げる鶏鳴であっ
たのである。

■ 4.自らの来歴を知れば志が育つ■

 欧米の国際派エリートが、冒頭の文章のように大英帝国の偉業を
誇るなら、国際派日本人はこうした日本の来歴を語らねばならない。
それでこそ、政治的独立を勝ち取った世界の諸民族が、今後はさら
に経済的にも自立してやっていけるように支援していく事を志す国
際派日本人も現れるであろう。

 前章で紹介した歴史教科書では、乃木も東郷も出てこない、日本
人がどんな思いで戦ったのか、それを世界の人々がどう受けとめた
のか、まったく書かれていない。ここには歴史の事実はあっても、
真実はない。こういう教科書では、自らの来歴に誇りを持ち、使命
感を持って国際社会で活躍しようという志を持った国際派日本人は
育たないであろう。

 日本が成し遂げた世界史的偉業は、日露戦争だけではない。この
「国際派日本人養成講座」では、これからも折にふれて、将来の国
際派日本人が知るべき具体的な史実を提供していくので、それらを
通じて、「自分は何者なのか」を探求して欲しい。

http://archive.mag2.com/0000000699/index.html



2014年1月6日月曜日

“慰安婦”の像撤去を → 署名10万超

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140104/k10014252131000.html

アメリカの韓国系市民団体がロサンゼルス近郊の都市に設置したいわゆる従軍慰安婦の問題を象徴する銅像について、撤去するようホワイトハウスに求める署名の数が、10万人分を超えました。

この銅像は、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って、日本政府に賠償などを求めてカリフォルニア州で活動している韓国系市民団体が、去年7月、ロサンゼルス近郊の都市、グレンデールの公園に設置しました。

この銅像について、南部テキサス州に住む評論家のアメリカ人男性が、先月、「銅像は、日本人や日本に対する憎しみを増長する」などとしてホワイトハウスに対して撤去するよう求める署名を専用のウェブサイトで呼びかけたところ、署名は、3日までに、アメリカの国内外から10万8000人分以上、集まりました。

ホワイトハウスは、こうした署名は10万人分を超えた場合、受理することになっていて、今後、対応を検討する見通しです。

この銅像の設置を巡っては、日本政府が「極めて残念だ」として遺憾の意を示したほか、地元の日本人や日系人からも反発が出ています。

アメリカではほかの自治体でもこうした銅像の設置が議論されていて、署名を呼びかけた男性の代理人を務める日本人男性は「今回の署名で、銅像の設置をこれ以上進めさせないという意思表示ができた。問題は解決済みだということを訴えたい」と話しています。